運気を失ったプロセス その10

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その10

代理店説明会は大阪市中央区N社の本社ビルで
行われた。

この会社は東京、大阪に5拠点、従業員数340名
を抱え、近々上場予定のある会社だった。

大阪の本社ビルは自社ビルで店舗を兼ねており、
どのフロアも多くのお客さんで賑わっていた。

説明会というからには、当然パイプ椅子が並んだ
会議室で行われるものと思っていたが、予想に反
し応接室のような部屋へと通された。

集まったメンバーは10名に満たなかった。

年齢層は20代半ばから50歳くらいまでの人達で、
驚いたことには、女性も半数くらい参列していた。

僕は最年少だった。

豪華な絨毯敷きの部屋に重厚なソファとテーブル。
周囲にはアンティーク調の何百万円もするような
立派な書棚が所狭しと設置されている。

おそらく重役クラスが集まって談笑するために設
えられた特別室なのだろう。

ソファへ腰かけるよう指示され、一同が腰を下ろ
した。

こんな形式でいったいどんな話を聞かされるのか。

現れた担当者は、年の頃は僕より少し上くらいで、
機関銃のように喋りまくる人だった。

担当者を取り囲むような形式で始められた説明会
は、まず参加者の自己紹介から開始された。

全員の挨拶が終わると、いよいよ本題に入る。

今回の趣旨は、1990年当時、将来を有望視された
NTTのキャプテンシステムをを世に普及させると
いう内容のものだった。

知らない人に説明すると、NTTのキャプテンシステ
ムとは、

テレビにNTTが開発した端末を接続し、その端末か
ら電話回線を通して、様々な情報が得られるとい
う今のインターネットの走りのような情報システ
ムである。

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このサービスは当時、かなり注目されており、一
般の人々の間でも、「キャプテンは凄い!」と囁
かれたものだった。

事実この頃、このキャプテンのシステムを流用し
て、ファミリーコンピュータで株式情報が見れる
専用端末も実際に存在していた。

キャプテンの成功は間違いないものと思われてい
たのだ。

だから、NTTの力の入れようも、それは凄かった。

当時は、この夢のシステムが頻繁にCMされていた
のである。

しかし、ほんの僅か数年後にインターネットが突
如日本中を、いや、世界中を席巻することになる。

当時の日本におけるインターネットの普及は、ま
さに「音もなく忍び寄る…」が如くの普及であっ
た。

その存在は既に認知はされていたが、日本での商
用利用などは、全く目処が立っていなかった。

しかし、1991年頃から様相が一変する。

パソコン通信全盛だった日本も1994年を境にニフ
ティサーブや、PC-VANといった大手パソ通事業社が
ISP事業に参入し始める。

そして、これら大手のパソ通事業社のISP事業参入
の事実により、国内の通信事業はインターネット一
色の時代となるのである。

この急激なIT業界の変遷は、さすがのNTTも予測が
出来なかった。

かくして、インターネットの普及と共にキャプテン
システムは、アッという間に人々の記憶からも消え
去ってしまったのである。

惜しくも消え去ってしまったキャプテンではあった
が、インターネットの登場がなければ、NTTの目論見
通り、かなりの普及が見込めたのではないかと思う。

なにしろ、株式投資を含め、競輪、競馬、競艇など、
ギャンブラーからの支持は、圧倒的なものがあった
のだ。

このキャプテンを、N社が提供するサービスを他に
付加して世間に広めようというのである。

なるほど、上場予定のある会社でなければ実行でき
ないビジネスプランである。
続く…。

 

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